~森の国からの風便り~ 松野町の今をここに・・・

愛媛県松野町の大自然の魅力や町内で催されるイベントについての情報を、お届けしていきます!

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  • 思い出す事

 道路は、アスファルトでは無く、草道で、轍があり、雨が降ると、季節によっては、水溜りにアメンボが泳いでた。

雨が降って、しばらくして晴れると、その水溜りには空の青と雲が鏡のように見えた。

ほとんど車も走ってなかったが、時折車が走ると、土煙(晴れた日)が上がっていた。

昔は、草刈り機も無い時代で、田んぼも畑も、畦道も、誰もがみな、鎌で草刈りをしていた。

隣近所の夫婦喧嘩、親子喧嘩の声が良く聞こえた。

お風呂は、薪風呂。夕方になると、どの家からも狼煙(のろし)よろしく煙が立ち昇っていた。

テレビは、夜のゴールデンタイムにプロレス中継。

梅雨時には、家の中にいても、カエルの大合唱が聞こえた。

灯りのメインが、傘つきの白熱灯だった。

どの家も、おじいちゃん、おばあちゃんがいて、父、母、子供・・・が普通だった。

夏は、扇風機。夜になると、やわらかいひんやりした風があり、それで十分だった。

上は中学生から、下は保育園児が一緒に遊んでいた。

夕焼けの空の色が、本当にきれいで、全てを茜色に染めていた。

夜は、灯りがほとんど無く、空を見上げると、満天の星で、ありとあらゆる角度に星が見えた。

近所の駄菓子屋では、ガラスショーケースに、個包装されて無い、はだかの饅頭が並んでいた。

台所には、竈(かまど)あり、普通に使っていた。

戸、窓、全てが木で出来ており、サッシは無かった。

川で洗濯(洗濯板)も普通の姿だった。

家の中に囲炉裏があり、冬には、こたつとして使っていた。

家の中に土間があり、緑土(でこぼこした固いやや緑色の土)があった。

家族の会話が普通で、笑い声が絶えなかった。

食事は、季節野菜のオンパレードだった。(大根の時期には、毎日大根的な)

学校給食が毎日楽しみだった。

隣町(宇和島市)に行く前の晩は、興奮してなかなか寝付けなかった。
※当時宇和島は、大都会に思え、色んな店があり、子供が興奮するのも当たり前だった。

老人ホームは、何処にも無かった。

ボンネットバス、ボンネットトラックが普通だった。

乗り物に乗ると必ず酔っていた。

毎日が、明日が、楽しみで、未来が明るかった。




これらは思い出の、ほんの一部ですが、書きながら、本当に時代を、時間を、感じました。得るものも多い時間も勿論流れましたが、失ったものの大きさも痛感します。


ですが、これらの空気も、時間も、松野町ではまだ、残っています。


って、続きもまた、書かせて頂きますね。




文:いのうえ

コメント

  • 01月 07 2014
    • 2014/01/07(火) 14:43:10
    • [ 編集 ]
    • URL
    • 実家は松野-
懐かしいです
洗濯機は五右衛門風呂の隣にあり一層式だったんで ばーちゃん(ばーばと言ってましたが)は川へ濯ぎに行ってました脱水はないのでローラーみたいなのはついていましたが手で絞っていたと思います 宇和島は確かに都会に行くような感じでした ましては松山なんか・・東京ですね
夜は満天でしたがうっとこらは土葬でしたので・・(ばーばも土葬でした)夏の夜は非常に怖かったです
おいのことか うしょうにんを担ぐことが小遣い稼ぎでした
そういえば国鉄バスも西土佐まであったようですが??!
昔は土葬でしたね。うちも同じくです。そして今またブログの下書きに、洗濯機の事も書いていた所でした(笑)
昔、松山は本当に別の国位の距離感もありました。

バスも確か西土佐迄国鉄が入って行ってたと思いますが、とにかく悪路でしたし運転手の気苦労を思うと今更ながら・・・本当にありがたい事です。

 こうして、世の中が便利な方へ便利な方へ・・・の流れでの今ですが、色んな淋しさ、殺伐したものにも思えます。
 と、グチにならないようにしなくては(笑)ですね。
まだまだ、寒い日が続きます。
お身体ご自愛され、良い1年になりますよう、松野町からブログで応援させて頂きます。

コメント大変ありがとうございました。

おいのこ、うしょうにんもまた絡めてブログを書かせて頂きます。

それでは、また。

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